そして、9月に入り、長男はようやく一般病棟に移れたのです。
ICUとは違って、1日中そばで付き添うことができます。
緊急入院してから、一般病棟に移るまで、主治医をはじめ、ICUの看護師さんたち、専門医・・・たくさんの人たちの献身的な介護に支えられ、長男は回復に向かっていったのです。
もちろん、私の両親、義母、家族の祈りも通じたのだと思っています。

話はそれますが、7月19日、一足先に私の姉が女の子を出産しました。
姉は実家でゆっくり過ごしたかったと思うのですが、両親は長男のことで目一杯で、姉はゆっくりすることができず・・・本当に申し訳なかったと思います。
でも、当時、私にもそんな姉の気持ちを思いやる余裕もありませんでした。
長男が生きるか死ぬか、という時でしたから・・・

そして、長男のことでようやく一安心(といっても、薬の影響なのか、無表情でまったく言葉を話さなくなった長男を見ているのも辛い日々でしたが・・・)できるようになった時です。
9月7日の早朝、就寝中に破水し、タクシーで病院に向かい、2時間後に娘が生まれました。

生まれた娘の真ん丸の顔を見て、「かわいい・・・」と心から思いました。
そして、きっと長男も妹の誕生を喜んで、どんどん回復するに違いない、と思いました。

長男を出産した個人の病院では、母子別室だったので、時間になると呼ばれておっぱいをあげにいく、ということをしていましたが、この病院では母子同室で、24時間一緒に過ごします。
それで、ずーっと娘の様子を見ていて、何だか時々普通の赤ちゃんと違うことが気になりました。
言葉では何とも説明できないのですが、何か違う・・・

そして、その不安が明らかになったのが次の日です。
小児科の先生の健診で「ちょっとご主人にお話があるんですが、いいでしょうか」と言われ、とっさに「主人じゃないと話せないことなんでしょうか。今、息子が入院していて大変な時なので、私がお聞きします」と答えました。

その先生はちょっと戸惑っている様子でしたが、まず、赤ちゃんの心臓に雑音が聴こえることを話しだしました。でも、それは生まれてしばらくすれば自然によくなることが多いので、様子をみましょう、と・・・
そして、次に、「赤ちゃんはダウン症の可能性がある」と・・・

よく目の前が真っ暗になる、といいますが、私はこの時、真っ暗ではなく、真っ白になりました。
本当に、何も考えられない状態になりました。
えっ、先生何言ってるの?ダウン症?って・・・
近くにいた看護士さんが寄ってきて、支えてくれましたが、何も言葉が出ませんでした。

その後、先生は淡々とした口調で、これからの検査や、どれぐらいの確率でダウン症なのかなどを説明していましたが、よく覚えていません。
覚えているのは、その時の先生の表情・・・
無表情に、よくもこんな辛い時期にこんなことを話せるな・・・と思ったのを覚えています。

告知する時の先生の態度というのは、とても重要です。
この時に、先生がもう少し思いやりを持って、気遣ってくれたら、私のショックももう少しやわらいだのでは、と思います。
今も私と同じように、辛い告知を経験しているお母さんがいるとしたら・・・もっと何とかできないものかと思います。
医師には、医療の技術と同じように大事なことがある、ということを自覚してほしいです。

早希