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ダウン症児 早希との楽しい日々(子育て日記)

早希の進んできた道

早希は現在小学3年生。
近くの小学校の特別支援学級に通っています。
(小学6年生の兄も通っている小学校です)

これまで、本当に紆余曲折、試行錯誤しながらやってきました。

私たちが住んでいる市には、市が運営している障害児通園施設があります。
そこに入れるのは、2歳を過ぎてから。
早希は9月生まれなので、入園する時には2歳6か月ということになります。

生まれてから半年は、寒い時期だったということもあり、お散歩以外はあまり外に出ないで過ごしました。
(生まれた大学病院に定期的に通ったり、地域の療育園で診察してもらったりはしましたが)

半年たって、お兄ちゃんが幼稚園に入園しました。
昼間、少し時間ができたので、この間親の会のリトミックやベビーマッサージ、近くの市の親の会の催しなどに参加していました。
療育園でPT(理学療法)や摂食指導なども受けたり・・・

そうこうしているうちに、通園施設に入園し、週3日通うことになりました。
ちなみに、この施設はバス送迎です。

そのまま、小学校入学まで4年間在園することもできたのですが、通園施設での娘の様子を見て、通常の幼稚園に入れることを考え始めました。
通園施設では、手取り足取り先生が何でもやってくれます。
それに味をしめた(?)のか、娘はやってくれるのを待つようになってしまったのです。
自分からやろうとする態度が全然見られませんでした。

これは、健常児にもまれたほうが、強く、たくましく育つんじゃないか・・・

それで、お兄ちゃんが通っている幼稚園に相談すると、快くOKしてくれました。

それから、幼稚園に入る準備を進めていきました。

まず、健常児の中に入ってうまくやっていけるかを見るため、お兄ちゃんも通っていた児童館の幼児グループに週1回通い、市内の保育園にお願いし、週1回母子通園させてもらいました。
これを1年間続けた結果、健常児の中で十分やっていけると思い、幼稚園に入園することになったのです。

早希
幼稚園入園の頃の早希

夏休みももうすぐ終わり

夏休み終わりまで1週間をきりました。
40日間は長い、と毎年思いますが、あっという間に時間は過ぎていきます。

息子は小6で、夏休みに入ってすぐ学校の行事である林間学校があり、次の週は夫の実家の青森に1週間ほど帰省、その次の週は息子がやっているボーイスカウトのキャンプなどがあり、気づいてみれば、夏休み後半でした。
今日は、市の子供会行事である「ミステリートレイン」という行先のわからない旅行に出かけて行きました。

娘は、お兄ちゃん大好きっ子なので、お兄ちゃんがいないととても寂しそうです。

でも、娘は娘で、市の発達支援センターや図工教室に通ったり、学校のプールに行ったり、病院の定期検査に行ったり、と結構やることがいっぱいあります。

私は私で、週に1回での外での仕事、普段は家での仕事があり、子供会の役員、ボーイスカウトの役員などもしているため、何だかバタバタと過ぎて行きます。

まあきっと、世の中のお母さんたちはこんな風に慌ただしい日々を過ごしているんですよね。

娘が生まれた後の生活

娘が生まれて、息子もようやく家に戻ってきて、親子4人での生活が始まりました。

生後半年はあまり外に出さないように、と言われていたこともあって、用事がある時以外はあまり外に出ない日々を過ごしました。

息子もまだ幼稚園入園まで半年あり、習い事といえば月2回のリトミックぐらいで、後は近くの児童館の幼児グループに週1回通っていました。
できるだけ、以前と生活が変わらないように、息子の用事の時は、娘を近くに住む私の姉や母に来てもらってみてもらいました。

出産後1ヶ月ぐらいして、娘が「ダウン症」だという結果が出ました。
この結果が出るまでの1ヶ月・・・とても苦しかったです。
ネットでダウン症についての情報を調べて、娘はそんなに目がつりあがっていないので、「絶対違う」と思ったり、でも、手相を見ると、ダウン症の特徴であるサル型だったので「やっぱり・・・」と思ったり・・・
考えずにいよう、と思っていましたが、考えずにはいられませんでした。

でも、結果が出て、「もう受け入れるしかない」という覚悟ができたような気がします。
産後、市の保健師さんが来てくれたのですが、その人に市内のダウン症の親の会を紹介してもらったり、近隣の市の親の会でしている活動を教えてもらったりしました。

そして、親の会の会長さんに電話してみました。
その時の「大丈夫。ちゃんと育つから」「生まれた時が一番辛い。後はどんどん楽しくなるよ」という言葉は今でも時々思い出します。
そうかー、ちゃんと育つんだ・・・悲しい未来しかないような気がしてたけど、そんなことないのかな・・・と思えました。

思えば、「娘がかわいそう」と思って泣いていたのではなく、「親である私がかわいそう」と思っていたんだと思います。
自分がこんなに障害者に対して偏見がある人間だとは、思ってもみませんでした。
自分にこんなにも偏見がある、ということをつきつけられ、動揺していたんだと思います。

生まれてからも、しばらくこうやって思い悩んでいましたが、それを救ってくれたのは、息子の存在でした。
あんなに重い病気にかかったにも関わらず、家に戻ってきてからどんどん回復し、以前よりもよく動いてしゃべるようになった息子を見て、「よし!二人のために私も落ち込んでばかりいられない」と思いました。

渓と早希


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【プロフィール】
普通の主婦です。夫と長男、長女がおります。
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  • 早希の進んできた道
  • 娘が生まれた後の生活
  • 仲良しきょうだい
  • 今日の図工教室
  • 娘が生まれるまで②
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